愉しい自転車&生活

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Category: [アフリカ]タンザニア

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Community: テーマ-自転車旅行  ジャンル-旅行

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サイドトリップ ザンジバル島へ


ドドマに着いたところまで書きましたが、ドドマについてはこの次に書くことにして、先にザンジバル島に行った時のことを。

ドドマに着いて数日、僕は友人宅を訪ねてそこで寝泊りさせてもらっていたわけですが、急遽、自転車と荷物を置かせてもらってザンジバルに行くことになった。わざわざ自転車で沿岸部まで出るのは面倒だけど、バスなら行ってもいいなと思ったので。折角の機会だし。まあ、これも骨休めということで。アフリカ、休んでばっかりな気がするけど。


ザンジバルは猫が非常に多い。
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ドドマからだと千円でダルエスサラームまで行けるので、自転車で行くよりもずっと安い。一日あたりで見ればほぼ飲食代しかからず、野宿の出来る自転車旅が安いけど、距離で見ればバスのが安くつく。同じ距離を移動するのにより金がかかる自転車旅行。同じ日数でより安く旅できる自転車旅行。


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で、ザンジバル観光だけど、正直に言えば府抜けていた。
これはもう、なんど書いたか分からないことだけど、特に南米とかで街の滞在記を書く度に書いていたような気がする。しかし、何度でも書きます。ザンジバルでは「特に何もしなかった」


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この「町でろくに観光しないでダラダラする」というのは、自転車旅行者の特徴だと思います。だらだら、ぶらぶらして、それで結構満足して観光した気になっちゃってるのが自転車旅行者だ。あそこ見て、ここ見て、美術館行って、色々体験して、なんて精力的に街を駆けまわる人なんて見たことがない。大抵は宿でのんべんだらりと過ごして、腹が減ったら散歩ついでに飯を食う程度のはず。オレは違う!という人もいるかもしれないけど。


つまり、以上の事はザンジバル滞在の要約でもある。
しかし!勘違いしないで頂きたいのは楽しくないわけではないということです。僕は十分楽しんでいた。たとえダラダラしていても、ダラダラする楽しさがある。もちろんこれは全ての場所に当てはまるわけではなく、本当に見たい場所は本気で見ますが。特にヨーロッパはその意味で見たいものが多くて楽しかった。また行くので(しかもイタリアとギリシャ!)、今からかなり楽しみ。



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それと、このザンジバル旅行は地球の歩き方を借りて持っていってた。久々に事前に情報を得る旅をしたような感覚だったけど、あらためて事前情報は必要最小限の方がいいなと思った。その地域の歴史や文化なんかは時間があるならきちんと勉強していった方が良いと思うけど、旅行情報みたいなものは基本的には必要ない。殆どの事はその場に行けば分かるから。この「その場で知る」という感覚は「旅行」では必要ないかもしれないが、「旅」においては地味に大事な要素だと思う。例えば、とある国立公園の入園料が40ドルだとする。40ドルって結構高いですよね。でもそれは事前に調べて知っていたら単なる数字で単なる「情報」でしかないけど、もし行ったその場で知ったなら、その40ドルはただの数字ではなくて、刺激的な生の「体験」となる。小さなことだけど、こういう小さな積み重ねは地味に効いてくると思うんだよな。



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しかしもし、沢山調べることで色々な可能性が示されて、自分の旅行をつくっていく上でよい肥料になるのであれば、それは良いことかもしれない。でも、僕もネットで旅行者のブログを見て回ったりしたけど、むしろ逆のことになる可能性の方が大きいと感じる。つまり、みんな同じ場所、同じ旅の仕方になりかねない。


世界一周や大陸縦断、横断に存在する幾つかの鉄板ルート。それを知った上でなぞるもいいけど、自分の中でそれを壊していくのも面白いよなと思う。僕はアフリカに関しては縦断したいからするけど、別にそこにこだわらなくてもいいわけだし。もっと色々な走り方が出来るはずだ。特に、現代は良質な地図があり、GPSなどもあるので、主要道路にこだわらずにもっともっと攻められるはず。


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だんだん長くなってきましたが、最後、僕はザンジバルで「何もしなかった」と書きましたが、それは「何も感じなかった」という意味ではない。このザンジバル滞在で一つ印象に残ったことがあるわけです。それは積み荷。


僕はダルからザンジバル島へ向かうのに、一番安い船に乗ったので、そういうのは当然地元民も沢山乗るし、ザンジバルへ運ぶ物資も沢山積む。フェリー乗り場で並びながら、タンザニア人が果物が沢山入った箱を積み上げていたのを何気なく見ていた。

それを見て、物というのは人間と違って、ギッシリと箱に詰められるし、積み重ねることも出来るから、同じスペースでもより大量の物が入るよな。だから重くなってこのフェリー遅いのかな(安いフェリーは高いフェリーよりも2時間ほど遅い)なんて思っていた。

ただまあ、そんなぼやっと見ながら感じたことなんぞ、ザンジバルに到着して2日目か3日目に訪れることになる奴隷市場に行くまではサッパリ忘れていた。

そして、ザンジバルの奴隷市場で思い出したわけである。


奴隷を拘束する器具。上から首につける輪、両手、両足となる。
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薄暗く、狭いスペース。ここに何人も詰め込むわけだから、「人間」に必要な空間の広さが全く足りていない。僕はこの空間に入った瞬間、なんて非人間的なんだと感じた。
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だからかと思った。「人間」としてではなく、「物」として扱えば少ないスペースに沢山積めるわけだ。ここで、ザンジバルへ向かう船で、狭いスペースにギッシリと積まれていく荷物の事を思い出し、そして商品として扱われ奴隷にされた人たちと重なった。

こういった行為は、人間を滅ぼそうと企む宇宙人や悪魔がやったのではなく、人間が自ら人間に行ってきたわけである。これは別に奴隷に限らない。戦争もそうだし、戦争ですらない一方的な殺戮だって沢山あったわけだ。昔から人間は人間を虐殺し続けてきた。

しかも、いまは近代化によって質も量も変わっている。古代のように兵隊同士が槍や剣でつつきあう戦争ではない。上から爆弾を落として一方的かつ無差別かつ大量に殺戮すること、民衆に紛れ込み自爆すること、武装して無関係の市民を襲うこと。そしてこれらの行為は各々の正義に基づいて行われる。西側からみれば、テロリストは悪だが、そのテロリストの被害者でありながら西側諸国の空爆によって殺される普通のイラク人やシリア人達には、いったいどっちが正義でどっちが悪だろうか。オバマが広島で言ったように、科学の進歩は、人類に道徳的な進歩も要求しているのだと思う。

マララさんがノーベル賞スピーチで「もうこのような世界は終わらせましょう」と世界に呼びかけたように、もう平和は願うだけではなく、具体的に変えていかなければいけないのだと思う。それはつまり、今の自分の生き方を問うことでもある。



死んだように眠る猫
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というわけで、もういい加減長くなりすぎてまとめどころが分からなくなってきたので、ここらで終わりたいと思います。以上ザンジバルでした。



死んだように眠る猫アップ
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プロフィール

染谷 裕太

Author:染谷 裕太
2012年6月カナダからスタートした自転車世界旅行をきっかけに始めたブログです。当初は単純な旅日記でしたが、現在は旅だけではなく日常も含めた様々な場面で自転車を楽しみ、その面白さを発見し、発信していきたいと思い書いています。

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