愉しい自転車&生活

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Category: [その他]自転車旅あれこれ

Tags: 考え  

Community: テーマ-自転車旅行  ジャンル-旅行

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受動から能動へ


世界一周などをしていると、旅行が段々と既知の事柄についての「確認作業」のように思えるようになってくることがある。写真やテレビ、ネットで見たものを現実の世界で「確認」する。「確認」した感想は色々だろう。写真と同じと思うかもしれないし、写真より良いと思うかもしれない。逆に拍子抜けということもある。だが、そういった確認作業にすぎないモノの見方で、それで何かを「見た」と言えるのであれば、これほど「見る」ということを、「知る」ということを見くびったことはないと思う。

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視界に入っていても、実は全く見れていない。ただ漠然と何となく眺めるにとどまる。旅に慣れっこになっていくほどに、あらゆるものが唯のつまらない景色に成り下がってしまう。これは深刻な問題だと思う。僕はそういうつまらない見方をしたくない、そう思ったので、とりあえずは座学で基礎的な勉強をしておくことが必要だと思い、それはやっている。と同時に、なぜそう感じるほど、旅に慣れきって疲れてしまうのか。その原因についての自覚も必要だ。自覚がなければ克服できないからだ。

旅も始めは新鮮で良い。感動も沢山ある。ただ、残念ながら人間は慣れる。問題なのは慣れてもなお、旅の面白さを外からの刺激に期待することで、そうなればより強い刺激を求めてどんどんハードルが上がり、ついにはそれを超えるものが殆どなくなってしまう。もちろん慣れが全て悪いのではなくて、むしろある程度慣れてくれないとマズイ。毎日全て新鮮でテンションが高いという状態が1年、2年と続いたら人間おかしくなる。だから一定程度慣れた時というのは、そこからもう一歩踏み込んで知る準備ができたということだ。大きな感動などそうそう無いのに、実は視線をもっと身近なところに向けたなら、無数の小さな発見と小さな感動があるのに、その小さな発見と感動を見つけようとする能動性に乏しく、待っていれば何か良いものが勝手にやってくることを期待してしまう。そういう受動的意識でいれば、何気ない景色の中にある様々な良きものをただひたすら見逃し続け、全ては単なる景色になってしまう。

また選択基準についても、皆が行くから(あるいは観光地だから)、という理由でそこへ行くのは馬鹿馬鹿しいし、逆に皆が行くから行かない、というのも馬鹿馬鹿しい。どちらも基準が外だからだ。自分がそこへ行きたい、訪れる価値があると判断するなら行く。そうじゃないなら行かない。他人が行こうが行くまいがそんなものは全く関係なく、また他人が良いと言おうが言うまいが、そんなことも関係ない。行くか否かを決める時に、自分の興味と関心以外に配慮すべきものなど何も無い。どこまでも自分の中の問題であり、自分がその対象をどう捉えるかという問題でしかない。

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観光地へ行くことが確認作業になったり、旅や生活が慣れっこになってつまらなくなっていくのは、事前に写真やガイドブックを見て「知識」として知っているからではない。本当の意味での「知る」とはどういうことなのか、ということに対する驚くほどの認識の甘さと、写真やガイドブックを見た程度で既に知っていると思い込んでそれ以上は何も知ろうとしない知的探求心の欠如、選択の基準が自分の外にあること、期待で何かをする受け身の姿勢、そうした総体としての能動性(主体性)の欠如が真の原因だと思う。

以上、アメリカ大陸縦断はじめ、これまでの自らの体験をもとに書いた反省。
何ヶ国行ったかとか、何万キロ走ったかではなく、密度。とにかく内容を濃くすること大事だ。だから続きの旅では、ただ色々な国に行くのは絶対に避ける必要がある。自分が何をしたいのか、何を見たいのかをよく見つめ直して的を絞って後半に望みたい。


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プロフィール

染谷 裕太

Author:染谷 裕太
2012年6月カナダからスタートした自転車世界旅行をきっかけに始めたブログです。当初は単純な旅日記でしたが、現在は旅だけではなく日常も含めた様々な場面で自転車を楽しみ、その面白さを発見し、発信していきたいと思い書いています。

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