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ケダレフから国境町のガラバットまでは約170㎞。一日は無理なので2日で行きます。たぶんアップダウンは大したことないと思うんだけど、日中の気温が大分暑くなってきているのが気になる所。僕の場合、暑いとパフォーマンス半分くらいまで落ちますからね。誇張じゃなく結構マジで。

ゆるいアップダウンを繰り返しながらの走行。標高はあまり変わらなかったかな。

何キロ走ったか知らないけど適当な場所でスーダン最後の野宿。これまでと比べて、いきなり暑さが増したような感覚だったので一日終わった時ヘロヘロだった。

翌日、残りをサックリと走って国境に到着。

スーダンポンドがまだ少しあるのでここで買い物と昼ごはん。
これ、スーダン人の食べた後。凄くないですか。この食べ散らかしぶり。

これは日本人(わたくしです)の食べた後。綺麗に食べたのに負けた気がするのは何故なのか。

ここでスーダンの写真は終わり。
というわけでスーダンが終わった。
日本でこの旅行を計画している時にいくつかスーダンの写真を見ていたけど、その時はえらい遠い国だなと感じた。地理的、文化的な遠さと断片的な情報しかなかったので、ぼやけた印象しか持てなかった。僕にとってスーダンという国は砂漠の蜃気楼のような国だった。
そんな国に実際来てみてどうだったか。この短い滞在でスーダンを分かったとはとても言えないが、でも、ひとつ言えるのはスーダン人は僕の心を軽くしてくれた。こちらの人達は心が人間の姿で歩いているんじゃないかと思えるほど、そのままだった。言葉は殆ど通じなかったけど、彼らと触れ合って、スーダン人の優しさに触れる度に、ぽろりぽろりと一つずつ自分の心に引っついた要らんものがとれていくようだった。まだアフリカ序盤だけど、この大陸から学ぶことは、とても大きく価値のあるものになるだろうと思った。

ゆるいアップダウンを繰り返しながらの走行。標高はあまり変わらなかったかな。

何キロ走ったか知らないけど適当な場所でスーダン最後の野宿。これまでと比べて、いきなり暑さが増したような感覚だったので一日終わった時ヘロヘロだった。

翌日、残りをサックリと走って国境に到着。

スーダンポンドがまだ少しあるのでここで買い物と昼ごはん。
これ、スーダン人の食べた後。凄くないですか。この食べ散らかしぶり。

これは日本人(わたくしです)の食べた後。綺麗に食べたのに負けた気がするのは何故なのか。

ここでスーダンの写真は終わり。
というわけでスーダンが終わった。
日本でこの旅行を計画している時にいくつかスーダンの写真を見ていたけど、その時はえらい遠い国だなと感じた。地理的、文化的な遠さと断片的な情報しかなかったので、ぼやけた印象しか持てなかった。僕にとってスーダンという国は砂漠の蜃気楼のような国だった。
そんな国に実際来てみてどうだったか。この短い滞在でスーダンを分かったとはとても言えないが、でも、ひとつ言えるのはスーダン人は僕の心を軽くしてくれた。こちらの人達は心が人間の姿で歩いているんじゃないかと思えるほど、そのままだった。言葉は殆ど通じなかったけど、彼らと触れ合って、スーダン人の優しさに触れる度に、ぽろりぽろりと一つずつ自分の心に引っついた要らんものがとれていくようだった。まだアフリカ序盤だけど、この大陸から学ぶことは、とても大きく価値のあるものになるだろうと思った。
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スーダンでお昼をとった後、そのままエチオピア入国。
イミグレの職員が女性だったんだけど、これはスーダンではあり得ない。そしてイミグレがまるで「ぽくない」感じだったので、イミグレだとは思わず、滅茶苦茶適当な返事をしてしまっていた。スタンプもらえたからいいけど。
エチオピアというのはサイクリストの間でもバックパッカーの間でも、ぼったくりやら投石やら何ならで、結構悪く言われたりする国なので僕も心の準備はしていたのだけど、確かにそういう面はあるけど、いざ入ってみれば不愉快より、圧倒的に元気をもらうことの方が多かった。
走行中に声をかけられる回数は圧倒的に増えたけど、バカにしているというより、好奇心からのものにしか見えない。少なくとも初日に関してはぜんぶ歓迎だった、と思う。

標高を上げるまでは暑いので休み休み進んでいく。
気温的には日陰で34度くらいだったかな。乾燥しているので日陰にいればそれほどでもない。風もあったし。

ブログには書いてなかったけど、ドイツのドレスデンで現地の大学生にこのプルタブをもらっていた。

「これを見れば辛いことも乗り切れるぜ」と爽やかに言われて渡されてから、一応ずっと財布の中に保管していたんだけど、まあ正直言って、もらった瞬間は「いや、ゴミ・・・」と思った。役目を終えたプルタブなんて、一般的に言えば間違いなくゴミですからね。普通に渡しても「要らねぇ」と捨てられるのが落ち。でも、ここが人間の人間たるところであると思うけど、このプルタブに関しては本当に見ると少し元気が出る。
これはつまり、プルタブが初めからゴミとしてあるわけではなくて、人間がプルタブをゴミとして見るからゴミになるわけで、僕にとってのこのプルタブは、あの大学生からのエールの言葉を思い出させる、そういう意味としてあるもの。
人間的意味から切り離された、物そのものというのは存在しない。逆に言えば、人間にとっての意味としてのみ全ては存在する。これを2500年前に看破したのがプラトン。真に実在するのは馬ではなく、馬のイデアだ、というイデア論の話。話逸れましたが。

止まって写真を撮っていると何処からともなく湧いてくる。「湧いてくる」って表現的には相手への当たりがキツイけど、本当に「湧いてくる」という言い方しかないくらいの感じで彼らは来ますからね。

エチオピア人のファランジ(外国人)を発見する嗅覚の鋭さたるや野犬並みで、また追いかけてくるところや、こっちが追いかけると逃げるといった反応も野犬と一緒。
しかし、ちゃんと見てみれば子供たちはこういう表情をしている。この顔つきを見れば分かると思うけど、彼らは決して悪気があって追いかけたり、しつこく声をかけてきているわけではない。

折角こっちに興味持ってくれているのに無視してしまったら何もプラスがないので、今回の旅は極力応えるようにしている。逆に、無視ってする方も結構大変で、しかも決して気持ちいいものでもないから、自分自身にとっても良くない。鬱陶しいからといって、無視してやり過ごすと、どんどんつまらなくなってくるし。相手はタフなハートのエチオピア人だから何とも思わないかもしれないが、少なくとも楽しくはないでしょ。まあこっちが応えたところで相手にとって良いかどうかってのも知らないけど。

と言いつつも、その日の気分によっては普通に半分以上無視することもあったりするんだけど。これはまあ言い訳だけど、このあいだ1時間に何回声をかけられるか数えたら75回だったんですよ。つまりもしフルに8時間走ったとして、一日に600回声をかけられるわけだ。これ全部応えようとしたら流石にストレスにしかならない。半分無視したって、300回は何かしらのリアクションするのだから、十分でしょう。


この日は野宿のつもりだったけど、夕刻、大きめの町を過ぎた所での検問で止められて「夜はたまにデンジャーだ」と言われた。「たまに」ってなんだよと思ったけど、少し迷って町まで引き返してホテル泊にした。僕よりも数か月先行して走っていた崎山さんブログを見ると、どうやらその時は部族間紛争で銃撃戦などもあった直後だったらしい。僕が入った頃には、もう時間も経っているので見たところ平常モードなんだけど、やっぱちょっと怖いんで無理はしない。

とりあえずエチオピア初日は普通に楽しかった。
そして、早速不味いと評判のインジェラも食べたんだけど、長くなるんで感想はまた今度。
イミグレの職員が女性だったんだけど、これはスーダンではあり得ない。そしてイミグレがまるで「ぽくない」感じだったので、イミグレだとは思わず、滅茶苦茶適当な返事をしてしまっていた。スタンプもらえたからいいけど。
エチオピアというのはサイクリストの間でもバックパッカーの間でも、ぼったくりやら投石やら何ならで、結構悪く言われたりする国なので僕も心の準備はしていたのだけど、確かにそういう面はあるけど、いざ入ってみれば不愉快より、圧倒的に元気をもらうことの方が多かった。
走行中に声をかけられる回数は圧倒的に増えたけど、バカにしているというより、好奇心からのものにしか見えない。少なくとも初日に関してはぜんぶ歓迎だった、と思う。

標高を上げるまでは暑いので休み休み進んでいく。
気温的には日陰で34度くらいだったかな。乾燥しているので日陰にいればそれほどでもない。風もあったし。

ブログには書いてなかったけど、ドイツのドレスデンで現地の大学生にこのプルタブをもらっていた。

「これを見れば辛いことも乗り切れるぜ」と爽やかに言われて渡されてから、一応ずっと財布の中に保管していたんだけど、まあ正直言って、もらった瞬間は「いや、ゴミ・・・」と思った。役目を終えたプルタブなんて、一般的に言えば間違いなくゴミですからね。普通に渡しても「要らねぇ」と捨てられるのが落ち。でも、ここが人間の人間たるところであると思うけど、このプルタブに関しては本当に見ると少し元気が出る。
これはつまり、プルタブが初めからゴミとしてあるわけではなくて、人間がプルタブをゴミとして見るからゴミになるわけで、僕にとってのこのプルタブは、あの大学生からのエールの言葉を思い出させる、そういう意味としてあるもの。
人間的意味から切り離された、物そのものというのは存在しない。逆に言えば、人間にとっての意味としてのみ全ては存在する。これを2500年前に看破したのがプラトン。真に実在するのは馬ではなく、馬のイデアだ、というイデア論の話。話逸れましたが。

止まって写真を撮っていると何処からともなく湧いてくる。「湧いてくる」って表現的には相手への当たりがキツイけど、本当に「湧いてくる」という言い方しかないくらいの感じで彼らは来ますからね。

エチオピア人のファランジ(外国人)を発見する嗅覚の鋭さたるや野犬並みで、また追いかけてくるところや、こっちが追いかけると逃げるといった反応も野犬と一緒。
しかし、ちゃんと見てみれば子供たちはこういう表情をしている。この顔つきを見れば分かると思うけど、彼らは決して悪気があって追いかけたり、しつこく声をかけてきているわけではない。

折角こっちに興味持ってくれているのに無視してしまったら何もプラスがないので、今回の旅は極力応えるようにしている。逆に、無視ってする方も結構大変で、しかも決して気持ちいいものでもないから、自分自身にとっても良くない。鬱陶しいからといって、無視してやり過ごすと、どんどんつまらなくなってくるし。相手はタフなハートのエチオピア人だから何とも思わないかもしれないが、少なくとも楽しくはないでしょ。まあこっちが応えたところで相手にとって良いかどうかってのも知らないけど。

と言いつつも、その日の気分によっては普通に半分以上無視することもあったりするんだけど。これはまあ言い訳だけど、このあいだ1時間に何回声をかけられるか数えたら75回だったんですよ。つまりもしフルに8時間走ったとして、一日に600回声をかけられるわけだ。これ全部応えようとしたら流石にストレスにしかならない。半分無視したって、300回は何かしらのリアクションするのだから、十分でしょう。


この日は野宿のつもりだったけど、夕刻、大きめの町を過ぎた所での検問で止められて「夜はたまにデンジャーだ」と言われた。「たまに」ってなんだよと思ったけど、少し迷って町まで引き返してホテル泊にした。僕よりも数か月先行して走っていた崎山さんブログを見ると、どうやらその時は部族間紛争で銃撃戦などもあった直後だったらしい。僕が入った頃には、もう時間も経っているので見たところ平常モードなんだけど、やっぱちょっと怖いんで無理はしない。

とりあえずエチオピア初日は普通に楽しかった。
そして、早速不味いと評判のインジェラも食べたんだけど、長くなるんで感想はまた今度。
エチオピアというのは本当に独特の国で、時間も独自のエチオピア時間を持っている。
国際基準の時刻からマイナス6時間したものがエチオピア時間。つまり朝6時がエチオピア時間の0時。7時が1時。12時は6時といった具合。正直、イギリスみたいな奴らだな面倒くせぇ、と思ったけど、しかし考えてみれば、季節によって最大40分程度ずれるけど、大まかに日の出時刻が基準であるわけだから、こっちのが自然だよなと思う。
エチオピア時間の朝1時すぎくらい。

というわけだったので、ホテルのチェックアウトタイムを4時と言われた時には、たまげましたわ。いやいやいや早過ぎでしょと。「4時!?」と驚いたら、インターナショナルタイムで10時だと説明してくれたけど。
気持ちの良い朝。

日中は暑いんでボチボチと進んでいく。僕としてはこの暑さなら70㎞も進めれば上出来。

さすがにエチオピア高原で、風景が結構良い。

こんな子たちが両手を振りながら全開の笑顔で「ユーユーユー!」と言ってくるのだから、可愛くないわけがない。中には握手したら腕に抱きついてくる子もいて、あれは可愛すぎて思わずハグした。

呪術でも使いそうな人。何故かこの人は僕が「ドンキー(ロバのこと)」と言うと、「イヤァーハッハッハー!!」と、いきなりフルスロットルで笑いだす。怖面白いんですけど。

そして陽も傾いてきたころ、とある村を通過したら毎度のごとく子どもが追いかけてきた。
これまでと違い、今回は結構しつこくマネー、ペン、シューズと要求してくる。こういうのにどう対応するはまだ検討中だったので、とりあえずコミュニケーションをとりながら進もうと思って、自転車から降りてゆっくりと押しながら進んでいた。ゆっくりと進み、村から完全に出ても子どもはまだついてくる。ちょうど上り坂も緩くなってきたしもういいやと思って、自転車に乗って走るもまだついてくる。
自転車に乗ってしまうと、後ろへの警戒がかなり薄くなるのだけど、その隙を狙ってまず、オルトリーブバッグに差しておいたサンダルが2人の少年に盗られた。ただ、これについては完全にこっちが間抜けだっただけの話。外に出している荷物が盗られるのは知っていた。でも、初日の様子から完全に油断して仕舞うのを怠った自分のミス。
しかし、その少しあとに後ろを振り返ると、今度は一人の少女がこっそりとオルトリーブのバックルを外そうとしていた。それを見た瞬間、自分の中で急激に感情が冷えるのが分かった。怒りのような熱くなるものではなく、失望のような冷めていく類の感情だった。「ああ、こういうことまでするのか」と。 そして、彼らの感覚は鋭く、こちらが何もしていないのに、声すら出していないのに、空気が変わった事を瞬間で察知して即座に、一気に距離をとった。しかし、それでも村に戻ることはなく少し距離を置いてついてくる。
そうするうちに道が下りになったので、ペダルに力を入れてスピードを上げると彼らも走って追っかけてきたが、子供の足では当然追いつけるはずもなく、そのまま走り去る。そして、最後に捨て台詞ならぬ、捨て石を投げられた。

なるほどね。これがサイクリストの中でエチオピアが嫌われる理由かと思った。
恐らくだけど、彼らはやってもいいイタズラの延長線上でモノを盗っている。良い悪いでいったら悪いことであるのは理解しているはず。それが分からないほど馬鹿には見えない。ただ、少なくとも外国人のものを軽く盗る程度なら限りなくイタズラに近い感覚というか、隙があったらやってもいい、くらいの相当軽い感覚で簡単に盗る。だから、合間合間には、そういう事をしない子供と変わらない屈託のない笑顔を見せてきたりするし、コミュニケーションもとれる。
見事なまでの子供らしさを持ちながら、同時に自分と相手の立場も知っていて、かつ分別がユルい。なんちゅう合わせ技だ。
なんにせよ、結局、こちらとは全く違う常識の中で生きているのだから、異なる背景をもった人間だという事をちゃんと理解した上で付き合っていかなければいけない。彼らは挨拶がわりでお金やモノをねだるし、好奇心で声もかけてくる。強烈に子供らしい可愛い面ももっている。そしてたまにモノを盗るのもいる。そういうのがエチオピアの子供達である。旅人(大人)が手前勝手な都合で、子供に子供らしさだけを求めるのは大間違いということ。分かった上で、こちらがちゃんと対策しておけば無害なわけだし、むしろ、逆にこちらが見習うところも多い。あの積極性や諦めないハート、大人にも物怖じしない度胸、旺盛な好奇心などは、ふつうに凄い。そして屈託のない笑った顔も。

まあ、不愉快と言えば不愉快ではあったけど、だからといって言われているほど悪い国とは思えないな。
国際基準の時刻からマイナス6時間したものがエチオピア時間。つまり朝6時がエチオピア時間の0時。7時が1時。12時は6時といった具合。正直、イギリスみたいな奴らだな面倒くせぇ、と思ったけど、しかし考えてみれば、季節によって最大40分程度ずれるけど、大まかに日の出時刻が基準であるわけだから、こっちのが自然だよなと思う。
エチオピア時間の朝1時すぎくらい。

というわけだったので、ホテルのチェックアウトタイムを4時と言われた時には、たまげましたわ。いやいやいや早過ぎでしょと。「4時!?」と驚いたら、インターナショナルタイムで10時だと説明してくれたけど。
気持ちの良い朝。

日中は暑いんでボチボチと進んでいく。僕としてはこの暑さなら70㎞も進めれば上出来。

さすがにエチオピア高原で、風景が結構良い。

こんな子たちが両手を振りながら全開の笑顔で「ユーユーユー!」と言ってくるのだから、可愛くないわけがない。中には握手したら腕に抱きついてくる子もいて、あれは可愛すぎて思わずハグした。

呪術でも使いそうな人。何故かこの人は僕が「ドンキー(ロバのこと)」と言うと、「イヤァーハッハッハー!!」と、いきなりフルスロットルで笑いだす。怖面白いんですけど。

そして陽も傾いてきたころ、とある村を通過したら毎度のごとく子どもが追いかけてきた。
これまでと違い、今回は結構しつこくマネー、ペン、シューズと要求してくる。こういうのにどう対応するはまだ検討中だったので、とりあえずコミュニケーションをとりながら進もうと思って、自転車から降りてゆっくりと押しながら進んでいた。ゆっくりと進み、村から完全に出ても子どもはまだついてくる。ちょうど上り坂も緩くなってきたしもういいやと思って、自転車に乗って走るもまだついてくる。
自転車に乗ってしまうと、後ろへの警戒がかなり薄くなるのだけど、その隙を狙ってまず、オルトリーブバッグに差しておいたサンダルが2人の少年に盗られた。ただ、これについては完全にこっちが間抜けだっただけの話。外に出している荷物が盗られるのは知っていた。でも、初日の様子から完全に油断して仕舞うのを怠った自分のミス。
しかし、その少しあとに後ろを振り返ると、今度は一人の少女がこっそりとオルトリーブのバックルを外そうとしていた。それを見た瞬間、自分の中で急激に感情が冷えるのが分かった。怒りのような熱くなるものではなく、失望のような冷めていく類の感情だった。「ああ、こういうことまでするのか」と。 そして、彼らの感覚は鋭く、こちらが何もしていないのに、声すら出していないのに、空気が変わった事を瞬間で察知して即座に、一気に距離をとった。しかし、それでも村に戻ることはなく少し距離を置いてついてくる。
そうするうちに道が下りになったので、ペダルに力を入れてスピードを上げると彼らも走って追っかけてきたが、子供の足では当然追いつけるはずもなく、そのまま走り去る。そして、最後に捨て台詞ならぬ、捨て石を投げられた。

なるほどね。これがサイクリストの中でエチオピアが嫌われる理由かと思った。
恐らくだけど、彼らはやってもいいイタズラの延長線上でモノを盗っている。良い悪いでいったら悪いことであるのは理解しているはず。それが分からないほど馬鹿には見えない。ただ、少なくとも外国人のものを軽く盗る程度なら限りなくイタズラに近い感覚というか、隙があったらやってもいい、くらいの相当軽い感覚で簡単に盗る。だから、合間合間には、そういう事をしない子供と変わらない屈託のない笑顔を見せてきたりするし、コミュニケーションもとれる。
見事なまでの子供らしさを持ちながら、同時に自分と相手の立場も知っていて、かつ分別がユルい。なんちゅう合わせ技だ。
なんにせよ、結局、こちらとは全く違う常識の中で生きているのだから、異なる背景をもった人間だという事をちゃんと理解した上で付き合っていかなければいけない。彼らは挨拶がわりでお金やモノをねだるし、好奇心で声もかけてくる。強烈に子供らしい可愛い面ももっている。そしてたまにモノを盗るのもいる。そういうのがエチオピアの子供達である。旅人(大人)が手前勝手な都合で、子供に子供らしさだけを求めるのは大間違いということ。分かった上で、こちらがちゃんと対策しておけば無害なわけだし、むしろ、逆にこちらが見習うところも多い。あの積極性や諦めないハート、大人にも物怖じしない度胸、旺盛な好奇心などは、ふつうに凄い。そして屈託のない笑った顔も。

まあ、不愉快と言えば不愉快ではあったけど、だからといって言われているほど悪い国とは思えないな。
国境のメテマから、まず目指しているのはゴンダールという街。ここでしばらく休む予定。ハルツームからずっと走りづめなのでもう10日くらいはずっと走ってるから疲れたし。
本日着ければいいんだけど、ご覧の通りの山岳。

しかもこの辺りが確かまだ標高1500mくらいで、そのくらいだとまだ暑い。なので、無理なら無理で野宿すればよいから、半分はどうでもいいやと思いつつ走っていた。
その半分の手抜きが手招きを受け入れる余裕を作り出す。というわけで朝のティータイム。

自転車の場合、皮肉なことに頑張って走れば走るほど、その土地から感じとれるものが少なくなっていく。楽ちんポジションで自転車を組んだのはそのため。

実際は「ここまでは走らなければいけない」という所もあるから難しくもあるのだけど。前提として野宿ができる国じゃないと完全に無計画で走るのは難しい。


左の子の表情が目まぐるしく変わるので面白かった。写真を見せると大ウケで喜んでくれるし。

写真は記録でもあるし、表現でもあるけど、旅においては間違いなく有力なコミュニケーションの手段でもある。特にデジタルになってからはすぐに見せられるから素晴らしい。デジタル化の最大の利点の一つ。
この後はしばらく上り。2000mは超えたと思うけど、もう忘れた。アフリカでは上位にくるキツイ場所だろうけど、アンデスに比べたら丘みたいなもんです。暑いから歩いて上ったけど。

そして下り。

結局、夕方ごろ、やはりゴンダールまで辿りつくのは無理っぽいという結論に達した。それに加えて、民家の切れ目がなくなってもきたので野宿も難しい状況になったので、とりあえずご飯。

そしてここで英語の話せる人に頼んで集落の小屋で一泊させてもらうことになった。

僕は人に頼んでとか、人のいる所での野宿はしたくないんだけど、このまちにはホテルらしきものもなく、かといってゴンダールまでどう見ても2時間はかかる。時間的にはあと1時間もすれば真っ暗になる。車なら30分くらいで着くらしいけど、今更ここまで来て車も嫌だ。
ということで、こういう場所で寝させてもらいました。

なんと護衛のおっちゃん付きだった。護衛といっても同じ小屋で寝てただけなんだけど。

何だかんだで良い人ばかりじゃないですか。エチオピア。

本日着ければいいんだけど、ご覧の通りの山岳。

しかもこの辺りが確かまだ標高1500mくらいで、そのくらいだとまだ暑い。なので、無理なら無理で野宿すればよいから、半分はどうでもいいやと思いつつ走っていた。
その半分の手抜きが手招きを受け入れる余裕を作り出す。というわけで朝のティータイム。

自転車の場合、皮肉なことに頑張って走れば走るほど、その土地から感じとれるものが少なくなっていく。楽ちんポジションで自転車を組んだのはそのため。

実際は「ここまでは走らなければいけない」という所もあるから難しくもあるのだけど。前提として野宿ができる国じゃないと完全に無計画で走るのは難しい。


左の子の表情が目まぐるしく変わるので面白かった。写真を見せると大ウケで喜んでくれるし。

写真は記録でもあるし、表現でもあるけど、旅においては間違いなく有力なコミュニケーションの手段でもある。特にデジタルになってからはすぐに見せられるから素晴らしい。デジタル化の最大の利点の一つ。
この後はしばらく上り。2000mは超えたと思うけど、もう忘れた。アフリカでは上位にくるキツイ場所だろうけど、アンデスに比べたら丘みたいなもんです。暑いから歩いて上ったけど。

そして下り。

結局、夕方ごろ、やはりゴンダールまで辿りつくのは無理っぽいという結論に達した。それに加えて、民家の切れ目がなくなってもきたので野宿も難しい状況になったので、とりあえずご飯。

そしてここで英語の話せる人に頼んで集落の小屋で一泊させてもらうことになった。

僕は人に頼んでとか、人のいる所での野宿はしたくないんだけど、このまちにはホテルらしきものもなく、かといってゴンダールまでどう見ても2時間はかかる。時間的にはあと1時間もすれば真っ暗になる。車なら30分くらいで着くらしいけど、今更ここまで来て車も嫌だ。
ということで、こういう場所で寝させてもらいました。

なんと護衛のおっちゃん付きだった。護衛といっても同じ小屋で寝てただけなんだけど。

何だかんだで良い人ばかりじゃないですか。エチオピア。

お世話になったまちからゴンダールは20㎞か30㎞ほど。

サクッと走ってゴンダールへ。



ゴンダールへの分岐を曲がり、あと数キロで街というところでベルギー人のサイクリストに会った。これがアフリカで初めて会った自転車旅行者。完全に忘れてたけど、写真を撮っておけばよかった。今頃は大分先に行ってるはずなので、もう出会うことはないでしょう。
そして、昼前くらいにゴンダールについて、ここでハルツームからの走行にようやく一息。午前だけ走行の半休とかもあったけど、2週間近く走り続けたので疲れた。
こちらゴンダールのファジル・ゲビ。カイトベイに少し似てるかもな。


キリスト教的なのか、イスラム的なのか、西アジア的なのか、どれでもないようにも見えるし、どこかしら似ているようにも見える。それともこれをエチオピア的と言えばよいのか。

キリスト教と言っても、感じとしてはごく初期のキリスト教教会に近い。

ラリベラの岩窟教会にしたって造りこそ特殊だけど、ことさらデカいわけでもない、派手な装飾で権威、権力をアピールするでもない。掘ってるから珍しく見えるけど、実際は地味な建造物(建てるというより掘る&彫るか)だと思える。エチオピア正教にはユダヤ教的な世界観が多く残っているというけど、何となく分かるな。教会も基本地味だし、アラビア半島が目と鼻の先にあり、これほど周りをイスラム教国家に囲まれながらもキリスト教を維持する頑なさはユダヤっぽい。
別に期待はしてなかったけど何だかんだで結構面白い城だったな。
ちなみに行った後で知ったけど世界遺産らしいです。

サクッと走ってゴンダールへ。



ゴンダールへの分岐を曲がり、あと数キロで街というところでベルギー人のサイクリストに会った。これがアフリカで初めて会った自転車旅行者。完全に忘れてたけど、写真を撮っておけばよかった。今頃は大分先に行ってるはずなので、もう出会うことはないでしょう。
そして、昼前くらいにゴンダールについて、ここでハルツームからの走行にようやく一息。午前だけ走行の半休とかもあったけど、2週間近く走り続けたので疲れた。
こちらゴンダールのファジル・ゲビ。カイトベイに少し似てるかもな。


キリスト教的なのか、イスラム的なのか、西アジア的なのか、どれでもないようにも見えるし、どこかしら似ているようにも見える。それともこれをエチオピア的と言えばよいのか。

キリスト教と言っても、感じとしてはごく初期のキリスト教教会に近い。

ラリベラの岩窟教会にしたって造りこそ特殊だけど、ことさらデカいわけでもない、派手な装飾で権威、権力をアピールするでもない。掘ってるから珍しく見えるけど、実際は地味な建造物(建てるというより掘る&彫るか)だと思える。エチオピア正教にはユダヤ教的な世界観が多く残っているというけど、何となく分かるな。教会も基本地味だし、アラビア半島が目と鼻の先にあり、これほど周りをイスラム教国家に囲まれながらもキリスト教を維持する頑なさはユダヤっぽい。
別に期待はしてなかったけど何だかんだで結構面白い城だったな。
ちなみに行った後で知ったけど世界遺産らしいです。