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愉しい自転車&生活

[アフリカ]エジプト の記事一覧

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Category: [アフリカ]エジプト

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ピラミッド観光


2015年12月22日続き

というわけで、とりあえずピラミッドを拝みにいきます。
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で、このピラミッドに入る前に一悶着あった。
まず敷地内に入るのにゲートをくぐる必要がある。それをくぐって坂を上っていくと、チケットオフィスの手前に二つ目のゲートがある。この2つのゲートの一つ目を通ろうとしたら警備をしている警官が「自転車は駄目だ」と・・・。きたきたきた。意味不明のルール。

概ね以下のような感じの会話だった。

「いや、ちょっと待って。車通ってるよね」

「車はオッケーだ。でも自転車は駄目だ」

「いやいや車もバスも歩行者もよくて、自転車だけダメなわけ?」

「そう。自転車は駄目。」

「なんでだよ」

「・・・さぁ」

「自転車のが小さいし、排ガスも出さないじゃん。なのになんでダメなわけ?」

「とにかく駄目だから、あっちのパーキングに止めろ」

「わかった。乗るのが駄目なんだな。じゃあ押して歩けば問題ないだろう」

「押してもダメだ」

「なんでだ」

「・・・さあ」


こやつ話にならん。自転車以外全部よくて自転車だけダメ。これを嫌がらせと言う以外に何と言えばいいのか。普段、街があれほどごった返していて、ルールもへったくれもないような状態なのに、ハイウェイでも自転車走れるのに、こういうところで意味不明の厳しさ発揮してんじゃねぇ。

向こうからしたら車というのはステータスなんだろう。金を持っている証。そして観光ってのは車でするものだ。だから車ならピラミッドの目の前まで行ける。ウェルカムだ。でも自転車は貧乏人の乗るもの、もしくは仕事で使うものであり、観光地には入れてはいけない。観光に来るのに使うものじゃない。

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本当にそういう心理があったかどうかは分からないが、エジプト的基準からしたら、自転車は駄目らしい。しかしね、何故駄目なのか理由がないのに駄目という、そんな意味不明なことでは引き下がれないし、何より敷地外にとめておくのは不安過ぎるので粘る。粘っていると、観光客を馬車に乗せて稼いでいるおっちゃんが「こっちだ!こっちにとめろ」と助け船を出してくれた。何故そこを警備する人間よりも馬車のおっちゃんの発言のが強いのかは謎だけど、そのお陰で第一ゲート突破。そして馬車のある場所にとめさせてもらったのだけど、そこからの客引きがこれまたシツコイんだ。

平気で「歩いては入れない。馬車に乗らないと入れない」と嘘を言ってくる。いや、すぐ目の前を歩いてピラミッドに向かっている人がいるんですが。とりあえず「入れなかったら戻ってくるよ」と言ってチケット売り場に向かうと、ウソがもう通用しないと判断したのか「チケットは高い!80ポンドだ!馬車は60で入れる!」と歩いて入れることをしれっと認める発言。ピラミッドに入ってもいないのにイベントが盛りだくさん。こういうのはヨーロッパではあり得ないので楽しい。


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ずっと話しかけてきた人。旅行会社で働いているらしい。勝手にガイドしてお金を要求するというのはよくある話だけど、この方は単に親切だった。下心があるかないかは、表情、顔つきなどをよく見れば結構分かるもの。
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結構広くて歩き回るのも面倒だったのでスフィンクスなどは見なかった。とりあえず現代よりもずっと大きい古代世界のスケールを感じられたのでそれで満足。



ピラミッドからカイロまでは一本道なので迷いようはないが、カイロに着いてからが大変だった。

ギザの街
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同じ場所から今度は逆、カイロの街
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毎日恒例のトラフィックジャム。何度も渡っていると段々とムカついてきて本当に信号つくれよと思う。毎日休まずこのゴタゴタを性懲りもなく繰り返すのだから馬鹿なんじゃないかと思えてくる。
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難航を極めたのが宿探し。
適当で簡単に見つかるだろうと思い本当に何も調べていなかったのが間違いで、全然見つからない。ホテルのホの字も見つからないのでおかしいと思っていたら、どうやら迷っていた場所がローカルエリアだったらしくて現地人向けのホテルしかない。つまり全部アラビア語で書かれているから僕には読めないし、そもそも現地人向けのホテルにはツーリストは泊まれないらしい。そんなルール初めて知った。

人に聞きまくって親切なエジプト人に案内してもらって何とか辿りついたホテルが一泊35ドルという値段。高いがもう探すのが嫌過ぎて一泊した。それに、案内されといて言うのもあれですが、あまり知らない人についてくの危ないし。良い子はちゃんと調べていきましょう。


ヨーロッパでは雹が降っても我慢したんだけど、これ以上夜歩くよりはマシ。
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ここでちゃんと調べてから翌日もっと安いホテルに移りました。
セシリアというホテルに泊まったのだけどベッドが想像以上に綺麗だった。連泊したいところだったけど、予約でいっぱいということで2泊で追い出され別の所に移動。結局カイロには4泊ほどしました。



美しさの欠片もない汚い街並み。空の濁り方も尋常ではない。
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カイロ滞在では、輪行時にトラブったクイックリリースを交換、いくつか自転車パーツを補給して用事は終了。特に見たいものはないので博物館などは行かなかった。写真もあまり撮っていない。大体エジプトってのは汚いから街で積極的に動く気にもならない。エジプト人は好奇心旺盛で楽しい人が多いが、こんなゴミだらけで排気ガス臭い場所は二度と御免。というわけなので、ここからはエジプト警察に全力を出してもらい早々に南下してしまう予定。どういう意味かは、まあ次回分かります。



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アフリカ大陸


2015年12月22日

アレクサンドリアから3日目、出発してしばらく走っているとピラミッドが見えてきたが、やっぱりか。
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これで間違ってデザートロードの方を走っていたのが確定。別にどっちにしろカイロ着くのでいいんだけど。というか、わざわざカイロ着いてからギザまで行く必要がなくなって、むしろこれで良かったと言える。


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北を上にした時、ナイルデルタ地帯というのは逆三角の形になる。カイロのあたりまでナイルを遡れば三角形の頂点付近となる。デルタ地帯の端を通ってきたこの道も、ギザ北西部にればデルタから外れ、辺りは完全に砂漠になる。そして砂漠になると同時に出てくるのがアップダウン。風景の違いからか、湿度が変わったことも影響するのか、殆ど緯度も変わっていないのに照り付ける日差しが少し強く感じられる。

ヨーロッパでは明確に分けられていた自動車専用道路と一般道の区分けもここでは曖昧。というよりそんなものはそもそも無いので、自転車も車と一緒にハイウェイを走る。片側で5車線はあろうかという幅の道路に、すぐ隣では途切れることなく、何倍ものスピードで走る車が自分を追い抜いていく。速度差と、自転車には不釣り合いなほど広い道路に、自分と自転車が酷く頼りないと感じた。そんな状況の中、ハイウェイの端っこで細々とペダルを回していた。




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淡々とペダルを回し、坂を上りって、目の前にギザの街を見た時、その先に霞んで見えるカイロを望んだ時、僕はこの旅で初めて「自分の小ささ」を感じた。前回のアメリカ大陸縦断時、あの圧倒的な大自然を前にしても、ついに自分のことを小さいと思うことはなかった。むしろ、地球に対して人間というのは意外なほどに大きいのだと感じた。

しかし、眼前に広がるアフリカ大陸のデカさ、目の前で繰り広げられる混沌と剥き出しになった人類のエネルギー。走っていたらそのまま飲み込まれてしまいそうなほどに、圧倒的にアフリカはデカい。ここではソフィスティケートされたようなものは全く通用しないのだと思った。ニッポンの常識、おベンキョーで身につけた小賢しい理屈、さも分かった風な人生訓、上っ面の賢さや優しさなどなど、そんなもんは木っ端微塵に粉砕されるんだろうなと思った。「賢ぶったり格好つけたりしてないで、そのままこい」、アフリカはそう言っているのだと僕は理解した。


面白い。やってやろうじゃんか。
と、決意あらたにした所でいざピラミッドへ行くのですが、長くなるので一旦切って次回。


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カイロへ


2015年12月20日

アレクサンドリア出発、の前に、最後に地中海を眺めてから。街からでも当然見れるのだけど、エジプト人いちいち話しかけてくるのでカイトベイまで来ました。
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まあ結局話しかけられるのがエジプトですが。アラビア語をいくつか教えてもらったかわりに、日本語を少し教えてあげた。
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アレクサンドリアの街中にはスーパーマーケットと言えるようなものは一つしか見つけられなかったのだけど、郊外に出るとフランスにあったCarrefourという大型スーパーが。
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品揃えはヨーロッパと同等。水タバコがあったりなど、若干の違いはあるものの、家電から食品、衣類など、大抵のものは揃う。ちなみにギザの郊外にもCarrefourがある。ただ残念なことに、エジプトでは自炊をする気もなく、さしあたって必要なものがない僕にはあまり用がなかった。



カイロまでの道は大きく二つ。デルタ地帯の真ん中を通るアグリカルチャーロードとデルタ地帯の端っこを通るデザートロード。
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アグリカルチャーロードのがやや近い(20㎞程度)のと補給地点が多そうなので、アグリカルチャーロードを走るつもりだったのだけど、どこで道をロストしたのか知らない内にデザートロードに入っていたらしい。走りながら、ずーっと「これ方角的におかしい。もしかしてデザートロードじゃないのか」と思っていたのだけど、2日後ギザのピラミッドが見えた時点でデザートロードを走っていたのが確定した。どちらにしろカイロ着くからいいんだけど。


夕方くらい、手持ちの食料はパンとヌテラだけなので、道路沿いの商店でご飯。
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豆と卵を掻き混ぜたもの。若干しょっぱかったが、不味くはない。
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そしてサラダ。主食はチャパティーみたいなやつ。
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作ってくれたおっちゃん。
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こちらはアラビア語分からないので、ジェスチャーのやりとりだったのだけど、一生懸命身振り手振りで伝えてくるんですよ。「今から礼拝だから、ちょっと待ってて。終わったら写真を撮って」と。そんでこっちが「オッケー」って言うと、あなたは幼子かというようなピュアな笑顔で返してくる。そんな笑顔されたら惚れてしまうわ。




たぶん孫かな。
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そして飯を食い終わるころには・・・


すっかり日が暮れていた。嗚呼・・・どうしよう。
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どうしようといっても、今からホテル探すのは難しすぎる。言葉も通じないし、文字も読めない。どの程度の街ならホテルがあるのかも分からない。しかもエジプトの夜道を走るのは危険が大きい(治安的な意味というより、交通事情的な意味で)。というわけで、選択肢は野宿の一択。


少し走ってミカン畑で野宿しました(翌朝撮影)。
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翌日、12月21日も前日と同じような道。ゴミが散乱し、車がカッ飛ばしていくつまらない道をただ走るだけ。

お昼。30ポンド(約450円)。ちゃんと食べるとそこそこいい値段するのがエジプトのようだ。コシャリとかだとミディアムサイズで5ポンド(約75円)くらいで済む。
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おやつ。凄値段忘れたけど凄く安かった。ヨーロッパから来たということを抜きにして考えてもエジプトは安い。
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この日はオリーブ畑で野宿。この時点でカイロまで50㎞ほど。2日で行きたかったけど、3日かかってしまった。
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アレクサンドリアの風景


アレクサンドリアでは特に観光らしいようなことはしていないんですが、とりあえず街を歩いていた。

絨毯を作っている所を撮らしてもらった。
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何というか、何がってわけでもないけど、なんか撮りたかった。
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「看板を入れて撮ってくれ」と言われたので注文通りに。撮り終わった後ジュースくれた。くれたといっても、隣の商店から「もらってくぞ!」みたいな感じでとってきたやつなんだけど。
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そっくり姉妹。
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見た目は悪いですが、思ったより美味かった。フールといって豆を煮込んだもの。
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それをこの多分小麦粉をねって焼いたと思われるものと食べる。
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これね、食いながら完全にインドを思い出していました。この料理といい、街の汚さといい、いちいち声かけてくるところといい、インドそっくり。


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エジプトは猫が多い。猫をペットにしたのはエジプトが一番古いらしいので、古代からの伝統なのだろうか。
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あれだけ猫が多いにかかわらず、車に轢かれた猫の死体はあまり見ないんですよね。すぐに片しているのか、交通サバイバルのエジプトで生活することで危険回避能力が高まっているのか。
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エジプトでは犬の死体のがよく見る。日本だと轢かれるのって猫だけど、どうやら猫が犬より間抜けだからというわけではないようだ。単に野良の割合が猫のが圧倒的に多いだけで、野良犬が多ければ犬の死体も多くなるはず。エジプトで犬の方が轢かれるのは、車がスピードを出す郊外には基本的に猫は少なく、野良犬の方が多いためと思われる。って、なんでこんな分析をしてるんだろうか。


カイトベイ。世界七不思議のファロスの灯台があった場所。いまは地続きだけど、古代世界では島だった。
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ファロスの灯台は確か高さ130mくらいだっかな。大体ケルン大聖堂と同じくらいの高さ。そう考えると、とんでもなくデカい灯台だったことが分かる。しかも造られたのが現代じゃなくて古代ですからね。


エジプトの観光地に行くと、なぜかアジア人が人気で、「写真を撮らせて」と何枚も撮られるはめになります。
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人からチヤホヤされたいそこのあなた。ギザのピラミッドでも行ってください。写真撮られまくるから。もしギザでもチヤホヤされなかったら、もうそういう星の下に生まれたのだと諦めるしかないかと思います。


馬車乗ってみた。結構面白いが、一回でいいわ。
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期待外れだったのがこの図書館。
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古代にならい、再びここアレクサンドリアを学問の中心地として復興させようという試みでこの新アレクサンドリア図書館が建設されたのだけど、なんか違う。本来なら無料にすべきだと思うけど、エジプトの懐事情もあるし、これから蔵書を増やしていかなくてはならないだろうし入場料をとるのは構わない。しかし、一回入るのに70ポンド(約1050円)で図書館にしちゃかなりの値段。学生は半額だけどそれでも学生からしたら高いと思う。そして図書館内にある博物館も追加でまたチケットを買わないといけない。敷地内の他の施設も別途必要そうだった。いちいち金、金、金、とれるところでとろうという姿勢にうんざりしてくる。一枚のチケットで全部入れるようにしろよ。それか、図書館自体は無料にし、付属の博物館のみ有料にするとか。本当に古代の学問都市としての復興を目指すなら、エジプトは変わらなければいけないと思う。何故古代エジプトがムセイオンに招いた賢人たちの生活を保障していたのか考えろって話だ。そう考えると、その辺やはりイギリスは分かってるんだ。大英博物館を無料にするというのは、あれはやっぱり偉い。


内部
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この無造作に置かれたゴミ袋は、どうやらゴミ箱がわりらしい。なんかもうノーコメントで。
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冬のアレクサンドリアは夏のような空。
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地中海の美しさと、混沌とした街のギャップが何とも凄いアレクサンドリア。わざわざカイロから来る価値があるかと言われれば、特に思い入れもない人は来なくてよいと思う。僕にとっては外せない場所だったので来ましたが。
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とりあえずアレクサンドリアを出発したら再びカイロへだ。


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アレクサンドリア


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むかーしむかし、紀元前4世紀の話ですが、ギリシャ北部のマケドニアをフィリッポスという王が収めていた。フィリッポスはあまり有名ではないと思いますが、彼の死後、王位をついだアレクサンドロス大王は誰しも知っているでしょう。若干20歳で王位を継いだアレクサンドロスはまず混乱状態にあったギリシャを制圧した。無数の都市国家が自治政治を行い統一されることのなかった古代ギリシャ世界の統一だが、アレクサンドロスはすぐに次の目的に取り掛かる。それは大国であり常にギリシャの脅威であったペルシャの打倒。まずは小アジア(現トルコのエーゲ海沿岸)の制圧、次いでペルシャの支配下にあったエジプトも陥落、その後大国ペルシャを打ち倒した。しかし、アレクサンドロスの野望はそこにとどまらなかった。彼はもっと遥か彼方、アジアの奥深くまでをも見ていた。アレクサンドロスの軍隊は連戦連勝、さらに東へと足をのばしアジアの中核インドまで進軍した。しかし、連続の進軍による疲労とペルシャの打倒までは大義を感じた兵士たちも、関わりのないアジアまで歩を進めることに疑問をもち士気が下がっていたことで、インドで引き返すこととなったが、この遠征により空前の大帝国が築かれた。この世界史上に残る出来事は僅か10年あまりという短期間で成し遂げられたのでした。


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そのアレクサンドロスがエジプトを落とした際に建設を計画し、その後プトレマイオス朝の首都として繁栄したのがアレクサンドリアという都市だった。エジプトの首都は普通、より内陸のナイル上流に置かれていた。エジプトという国は、他国と積極的に交流して文化を吸収していくタイプの国ではなく、内向きの閉じた国であったことは、古代エジプトの遺跡や彫刻がほとんど変わっていないことから想像がつくが、ギリシャ語を操り、ギリシャ文化にアイデンティティを見出すマケドニア人の王にとって、地中海を介した交易、他国との交流は非常に重要であった。外に向けられたその眼が選んだのは地中海沿岸、ナイルデルタ地帯の西端、いまのアレクサンドリアであった。


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実際には、遠征後に若くして死んだアレクサンドロスがその都市の完成を見ることはなかった。代わりにそれを引き継いだのはアレクサンドロスの友人で共にアリストテレスのもとで学んだプトレマイオスであった。哲学者として知られるアリストテレスだが、実態はより学的な人間で、あらゆるものを分類しようとした。分類し、知を集積し体系化しようとした。そのアリストテレスの影響を受けていたプトレマイオスは、アレクサンドリアをただ首都としての街にとどめるつもりはなかった。世界中の「知」を集めようとしたのだ。そこでつくられたのがムセイオンという研究機関とそれに付随するアレクサンドリア図書館だった。


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豊かなエジプトの経済力に支えられ、世界中から優れた頭脳がアレクサンドリアに招かれ、そこで研究に没頭した。アレクサンドリアはすぐにヘレニズムの中心地となった。アレクサンドロスの遠征は、婉曲ではなくストレートに書くなら「侵略」にすぎないが、こうした世界史に残るような大侵略によって、たびたび東西の文化的交流が活性化されてきたのも事実。この侵略によって、至る所に都市ができ、狭いギリシャに見切りをつけたギリシャ人達が移住していくことで、青く美しいエーゲ海ですくすくと育ち、人類史の奇跡とも言われるほど傑出した古代ギリシャ文化が緩やかに世界へ広まっていった。ここからローマが台頭、支配するまでをヘレニズム時代という。


そんなアレクサンドリアという街ですが、今では見る影もない。というか、僕も古代世界を目撃したわけじゃないから、見る影があるかないかは分からないわけだけど、でも、絶対こんなんじゃなかっただろ。
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現代の街並みを見ると、古代世界のアレクサンドリアとは深い断絶があるように思える。
そもそも、世界観が全く違うので当然ではあるのだけど。現在エジプトで多数を占めるイスラムはキリスト教と同じく、ユダヤ教を起源とする一神教だけど、古代世界は多神教で世界観が全く違う。同じように神を信じるのでも、唯一神、絶対神という考え方では、神は全てを超越している。万物の創造者であり、支配者であり、あらゆるものを超えた存在になる。ギリシャ神話の神々も人間からしたら超越には違いないが、ギリシャ神話においては最高神であるゼウスでさえ絶対ではない。そもそもゼウスは始原ではなく、世界をつくったわけでもない。クロノスという神から生まれているし、巨人族と闘ったりして紆余曲折を経て世界に君臨しているわけだ。しかも自分に良くしてくれる特定の人間に対して肩入れしたり、あっちのお願いきいたり、こっちのお願いきいたり、ヘラという正妻がいながらも、白鳥やウシや時には黄金の雨に化けては美しい女性のもとに行って交わる絶倫野郎だ。そういうのがギリシャ神話の神々。



アレクサンドリアはエジプトだが、エジプトの宗教をそのまま受け入れることに抵抗のあったプトレマイオスが何をしたかというと、混ぜたんですね。エジプトの神とギリシャの神を合体させて、新しい神セラピスをつくりだした。極めて意図的につくられた神だけど、エジプト人達にもよく受け入れられたらしい。


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直線や点、円、などの幾何学の定義を定め体系化したユークリッド。地球一周は約4万キロだけど、これを推論と観測、計算によって殆ど正確にはじき出したエラトステネス。天体の観測から地動説を唱えたアリスタルコス。こういった研究はすべてアレクサンドリアで行われていたのだ。ちなみに、こういった古代ギリシャ文化と、精神を否定、破壊したのがキリスト教徒たちだった。ハッキリ言って単なる「神話」に過ぎない聖書の世界観を信じさせるには、合理的、科学的に世界を説明されたら困るわけだ。キリスト教徒にとって、ギリシャの精神、ギリシャ的知性は排除しなければならない敵だった。

ついでに、一点忘れてならないのは、忘れ去られた古代ギリシャの数学や医学を引き継いで発展させたのは実はイスラムだったということ。今でこそヨーロッパが先進国であるけど、もともとヨーロッパ人というのは遅れたやつらだった。文明化した人間が、未開の人間を野蛮人と言ったりするが、中世においては高度な文明をもつイスラムにとって、遅れたヨーロッパ人は野蛮人だった。そのヨーロッパも進んだイスラムを通して古典(ギリシャ)を学んでいき、それがルネサンス、そして宗教改革、近代化へと繋がっていき、今の先進国という位置にいるというのが歴史の流れだ。


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中世あたりのイスラム学者の著作を少し読んでみると、非常に合理的に考えているのが分かる。ただし、いかに理詰めで考えられていても、ある地点までいくと突然「神がつくった」みたいな話に飛躍する。結局、神が万物の創造者という前提をもっている時点で、必ず一定の場所で思考がストップするわけだ。ここに宗教と哲学の決定的違いが見いだされる。前提を置かず、自分で考えるのが哲学だから。


古代世界からしたら、現代は世界人権宣言のようなものまでつくられるような世の中にはなったが、それでもなお凄惨な殺し合いが続いている。果たして人類は前に進んでいるのだろうか。むしろ後退しているのではないのか。古代から変わらないであろう美しい地中海を眺め、そこからアレクサンドリアの街を見ていると、そう思わずにいられなかった。

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プロフィール

染谷 裕太

Author:染谷 裕太
2012年6月カナダからスタートした自転車世界旅行をきっかけに始めたブログです。当初は単純な旅日記でしたが、現在は旅だけではなく日常も含めた様々な場面で自転車を楽しみ、その面白さを発見し、発信していきたいと思い書いています。

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